今年より開始したブリッジエンジニア育成事業。
オフショア開発を進める上で、ベトナムに圧倒的に足らないのが、日本語ができるエンジニア。
そのため、日本とのオフショア開発の件数もなかなか増えない。
そこで自社のエンジニアとして独自で日本語教育をはじめたというのが経緯である。
日本語教育手法の研究、リクルーティング方法、ハノイ工科大やホーチミン工科大など、大学上位校での日本語教育の実態調査など約1年間の準備を踏まえ、07年2月より募集を開始し、4月から10名のエンジニアの日本語教育を開始した。
日本では在留資格証明書、ビザコントロール、住居の手配、受入体制、管理体制などの事前準備など、この半年はベトナム人エンジニアの育成に全力をかけてきた。
そして、約半年経った10月16日。第1期生の2名が来日した。
ある意味で2名の来日が集大成であり、非常に感慨深い一日であった。
ちなみに、育成してきたエンジニアはハノイの上位校出身者。
今回来日した2名は、ともに北部の工科系大学最上位校のハノイ工科大学卒。
もちろん日本には初めてで、1名は飛行機に搭乗することすら初めてである。
成田では管理部T氏が出迎えた。
やはり、無事に入国できるだろうかと非常にハラハラしていたが、16日朝に到着の連絡を受け、安堵した。
生活品購入、電車の乗り方・チャージの仕方、ごみの捨て方など、日本人と同様の生活をするためのレクチャー、外国人登録、銀行口座開設などの準備を終え、日本での生活が始まった。
日本の印象を聞くと、
「日本は街がきれい。特に高いビルがすばらしい」
「電車が非常に便利。ベトナムはバイクだけ」
「人が多い」
「足が痛い。日本ではよく歩く。バイクに慣れてるので足が痛くなる」
と、以前大阪から東京に出てきた当時の私の印象とかなり似ていた。
彼ら2名を皮切りに、これから続々と来日する。
10月16日、この日が弊社にとって、第二創業期となった。